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山形県最上地域の観光情報

最上地域観光協議会ウェブサイト


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新庄への道

猿羽根峠を越えて舟形から新庄へ渋谷風流宅に二泊する。

芭蕉・曾良の一行は猿羽根峠を越え、舟形宿に到着後、ここで馬を大石田に帰し新庄城下をめざします。城下への南入口付近にあって、芭蕉一行に到着が近いことを知らせる「鳥越の一里塚」(ブナの木)は、片方ながら今も土盛りを残して当時の面影を残しています。またブナの一里塚は全国的に見ても大変珍しいものです。鳥越の一里塚の前を走るのが羽州街道で、この先に「柳の清水」の旧跡があります。
 

鳥越の一里塚【新庄市指定史跡】

鳥越の一里塚のブナ

一里塚とは江戸時代、幕府が交通制度を整えるため江戸日本橋を起点として、主要街道沿いに一里(約4㎞)毎に五間(約9m)四方の塚をつくって、その上にマツやエノキを植えて目印にしたものをいいます。
鳥越一里塚にはブナが植えられています。この一里塚は街道の西に設けられたものですが、南側の塚は失われています。舟形町柴山からここまで一里とされ、それぞれに一里塚があったそうですが、昔の面影が残っているのはここだけです。




■お問合せ/もがみ情報案内センター TEL 0233-28-8881
 

柳の清水跡【新庄市指定史跡】

芭蕉の句碑と柳の清水跡

「柳の清水」の旧跡は、昭和63年(1988)の発掘により再整備されたもので、これに伴い近隣の金沢八幡神社境内にあった芭蕉の句碑が当所に移されたものです。
柳の大木が茂って蔭をつくっていた「柳の清水」は昭和初期までは豊かな清水が湧き出ており、芭蕉もこの清水で飲んだ冷水を念頭に置いて、「水の奥 氷室尋る 柳哉」の句を詠んだと思われます。





■お問合せ/もがみ情報案内センター TEL 0233-28-8881
 

新庄城下の渋谷風流亭に到着

芭蕉は新庄で 三つ物(あいさつの句)を二つ 歌仙一巻を残しています。


6月1日(陽暦7月17日)大石田を出た芭蕉と曾良は,猿羽根峠を越えて鳥越の一里塚、柳の清水を経て、尾花沢で知り合いとなった豪商の渋谷風流(甚兵衛)宅に着きました。当時の新庄藩主は二代目戸沢正誠(まさのぶ)で、この頃までに初代藩主政盛から継承した藩政の諸策が整い、城下は財政・文化両面において全盛の時代を迎えていました。
風流宅に着いた芭蕉は、そこで三つ物(あいさつの句)の発句「水の奥 氷室尋る 柳哉」を詠みました。折りしも、旧暦6月1日は、暑気払いや夏の厄除けをした「氷室の節句」に当たっていたので、「氷室」という言葉を入れて、風流への接待に感謝の気持ちを表したものです。翌日、芭蕉主従は、風流の兄(本家)・盛信宅に招かれ、ここでも「風の香も 南に近し 最上川」という三つ物の発句を詠みました(句碑・新庄市民プラザ正面)。またそこで、地元の俳人たちと、風流の発句「御尋に」で始まる歌仙を巻きました。

 

渋谷風流亭跡

渋谷風流亭跡芭蕉一行が新庄に入り、旅装を解いた豪商渋谷風流(甚兵衛)の家は、新庄市役所から程近い南本町の金物店の敷地附近にあったと見られており、金物店の店先に「芭蕉遺跡風流亭跡」の石柱が建てられています。
また、斜向かいの山形銀行新庄支店の前には、兄の盛信亭跡の石柱も建てられています。




■お問合せ/もがみ情報案内センター TEL 0233-28-8881