●平泉(岩手県平泉町) 平泉には、平安時代末期、奥州藤原氏が栄えた時代の寺院や遺跡群が多く残り、そのうち5件が「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の名で、平成23年(2011)6月26日にユネスコの世界遺産リストに登録されています。芭蕉は、源義経が平泉で自害し、奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)の5月13日、「奥の細道」の旅で平泉に訪れています。
●出羽仙台街道中山越(宮城県大崎市~山形県最上町) 宮城県大崎市鳴子と山形県最上町堺田をつなぐ国道47号沿いの旧道です。この道は平安時代から出羽国と陸奥国を結ぶ交易路で、芭蕉の句で知られる「封人の家」や「尿前(しとまえ)の関」などの遺跡が残っています。平成2年(1990)には鳴子~堺田間の約11Kmが国指定史跡となり、そのうち「尿前の関」から堺田までの約5.2㎞が「奥の細道」(遊歩道)として整備され、天然林の山道を散策することができます。
●旧有路家住宅 封人の家(山形県最上町) 芭蕉が「奥の細道」の旅中に宿泊したところで、唯一現存する建造物と言われているのが「封人の家」です。建物は推定で築後350年で、国の重要文化財に指定されています。
●山刀伐峠(山形県最上町~尾花沢市) 芭蕉が「封人の家」から尾花沢宿に向かう時に通った峠です。 山刀伐峠は、峠の形状が、山仕事や狩りの際に被った「なたぎり」に似ている事から名付けられたものです。実際に、芭蕉の「奥の細道」には、山刀伐峠を越えるにあたって、「封人の家」の当主有路氏が、山賊から芭蕉の身を守るため、屈強の者を護衛に付けて送った旨が記されています。 現在は「歴史の道」(遊歩道)として整備され、いくつかの史跡が保存されています。 ●山寺 宝珠山 立石寺(山形県天童市)
山寺は貞観2年(860)清和天皇の勅願のよって慈覚大師が開いた、天台宗のお山です。正面には、ブナ材の建築物では日本最古と言われる国指定重要文化財の根本中堂があります。 松尾芭蕉が「奥の細道」で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という俳句を詠んだ有名な名所で、山寺内には芭蕉句碑がいくつも建てられています。
●山居倉庫(山形県酒田市) 山居倉庫は明治26年(1893)に酒田米穀取引所の付属倉庫として、旧庄内藩酒井家により最上川と新井田川に挟まれた通称「山居島」に建てられました。 舟による米の積み下ろしに便利な立地で、12棟の巨大な木造の倉庫を連ねた美しい建物と、最上川側のケヤキ並木が独特の風情を伝えています。
|