芭蕉は新庄で 三つ物(あいさつの句)を二つ 歌仙一巻を残しています。
6月1日(陽暦7月17日)大石田を出た芭蕉と曾良は,猿羽根峠を越えて鳥越の一里塚、柳の清水を経て、尾花沢で知り合いとなった豪商の渋谷風流(甚兵衛)宅に着きました。当時の新庄藩主は二代目戸沢正誠(まさのぶ)で、この頃までに初代藩主政盛から継承した藩政の諸策が整い、城下は財政・文化両面において全盛の時代を迎えていました。
風流宅に着いた芭蕉は、そこで三つ物(あいさつの句)の発句「水の奥 氷室尋る 柳哉」を詠みました。折りしも、旧暦6月1日は、暑気払いや夏の厄除けをした「氷室の節句」に当たっていたので、「氷室」という言葉を入れて、風流への接待に感謝の気持ちを表したものです。翌日、芭蕉主従は、風流の兄(本家)・盛信宅に招かれ、ここでも「風の香も 南に近し 最上川」という三つ物の発句を詠みました(句碑・新庄市民プラザ正面)。またそこで、地元の俳人たちと、風流の発句「御尋に」で始まる歌仙を巻きました。