義経・弁慶伝説 ~最上川遡行~
 
 

鎧の明神、冑の明神

最上峡(鎧の明神・冑の明神)日本武尊(やまとたけるのみこと)が最上川を遡る途中、家臣の乗った舟が急流で流され、武尊が後を追って助けようと身に着けていた鎧や冑を脱ぎ捨てたことから、その場所に神社が建てられました。義経一行が拝んだとの記述があり、現在も冑の明神が参拝できます。
 

たけくらべの杉 (幻想の森)

たけくらべの杉(幻想の森)義経記にある「たけくらべの杉」は最上峡特有の多幹系の杉であり、群生地の「幻想の森」や、代表的巨木の「土湯の黒杉」があります。
 

八向楯【新庄市本合海】

八向楯最上川右岸に築かれた中世の城(楯)で、天正年間(1573~1592)に木戸周防が築いたとされています。中腹には最上川の難所から舟人を守る神「日本武尊」を祀った「矢向神社」があり、『義経記』には、上陸した義経一行が伏し拝んだとの記述があります。
 

仙人堂【戸沢村高屋】

仙人堂義経の従者常陸坊海尊がこの地で一行と別れ、山に篭り修験道の奥義を極めて仙人になったとの由来がある神社で、海尊を祀っています。舟乗りの安全と稲作を守護する神社。この神は虫を嫌うので、ここのお札を田んぼの水口にさすと稲虫がつかないといいます。