北の方が産気づいたため、産屋を建てしばらく養生した場所。後に村人が、この地を不浄にしてはいけないと山神社の祠を建てました。弁慶が笈を掛けて休んだ桜「笈掛け桜」が近くにあったといわれています。
北の方が難産で苦しんだ時、ここに祈願して無事出産することができました。通過する時に弁慶が代参しました。
産湯を探して谷川を下った弁慶が、川辺に湯煙を見つけ、なぎなたで岩を砕いて見つけ出した温泉が今の「薬研湯」で、天然の岩風呂です。この時使ったなぎなたの名が「せみ王丸」であったので、この地を瀬見と呼ぶようになりました。
瀬見駅から温泉に向かう途中の大きな松を、こう呼んでいます。弁慶が亀若丸の誕生を祝って「再び義経公の世になって栄えるように」と、峠の頂上から投げた松が、ここに根付いたものだといいます。
笈の沢をのぼった西側に「判官楯」と呼ぶ山があります。ここは亀若丸を出産した北の方が産後の肥立ちまでの間、見張りを置いたという場所です。
峠の頂を越えた所で北の方がお産をしました。水をほしがる北の方のために弁慶が法螺貝を大地に突き刺して神仏に祈り、霊水を得たといいます(後の「子安の清水」)。「義経北の方御産の跡」の石碑や、生まれた子どもである亀若丸が使った枕石「子枕石」が残っています。
瀬見発電所対岸の大きな平たい岩を、こう呼んでいます。亀若丸の名をつけるとき、弁慶はこの岩を硯として墨をすったといい、近くには弁慶の足跡や馬の足跡がついている岩があります。